□□□ アストロ苦戦記 □□□
2006年8月、7年3ヶ月間私の愛車として活躍したアストロ(95年式)に別れを告げるときがやってきた。
先代愛車カマロZ28(91年式)の故障が皆無に等しかったのに対しアストロはかなり手を焼かせてくれた。
これからアストロの購入を検討されている方の為にも「アストロ苦戦記」としてこの長い歳月を振り返ってみることにした。

□バースト:
我が家の期待を一身に背負って1999年5月納車されたアストロがまず受けた洗礼がバースト。
2000年10月ある朝、いつものように通勤のため乗り込もうとしたら右リアのタイヤがペチャンコになっていた。
予兆として1ヶ月前から空気抜けがあり、給油するたびに空気圧調整をしていた。その後ペチャンコとまではいかないにしても左フロントタイヤが空気圧調整しても一日で空気が半減するというバースト状態を起こしあわててタイヤ交換をしたことがある。バーストはこの2回だけだったが車検時に必ず2本は交換するようになりは結局7年間で合計8本を交換した。

□ルームミラー:
初バーストより前の1999年暮れ頃、これもいつものように通勤中に軽快に運転をしていると、ルームミラーが無くなっているのに気づき車内を見渡すと落下していた。しかしこれはアメ車にはよくあるようでたいした問題ではないらしい。

□最高速度:
スピードメーターは180km/hまであるのにアストロの限界は100km/h。これを超えるとハンドルがぶれだして恐怖感さえ感じるようになる。ちなみに私の記録は105km/h。他のオーナーも同じことを言っているのでこれは私のアストロの調子が悪いのではなく構造上の問題らしい。利点としてはスピード違反で検挙される確率がかなり減ることが挙げられる。

□首都高速:
首都高速でのエンストほど恐ろしいものはない。2001年10月、小菅ランプより首都高速に乗り向島線を上っていくといつものように箱崎JCT手前で渋滞。スピードを徐々に落とし停止するとエンジンもそのまま停止。エンジンはすぐにかかるのだがアクセルを踏み回転数を上げてからアクセルを離すとそのままエンジン停止してしまう。JAFの牽引車を呼んだがアストロは牽引できないらしく、エンジンを止めないようアクセルを踏みっぱなし状態にして低速で自宅まで誘導してもらうことになり、私の後ろからついてきてもらう。この時首都高向島下り線で渋滞を引き起こしたのは私である。

□ワイパー:
モーターの不良でワイパーが突然動かなくなる事が起こる。初めて修理に出したときは機嫌が良かったらしく現象を確認できずと無修理で返され、忘れもしない2002年9月台風関東直撃の夜、お客様を5名載せたアストロのワイパーが完全停止。豪雨の中を舞浜から堀切までワイパーの力を借りることなく車を走らせる羽目に。このときの経験は恐らく私の人生10大恐怖ランキングにノミネートされるであろう。

□当て逃げ:
2003年6月仕事で葛飾区役所を訪れた時、用を済ませ駐車場に戻ると右リアフェンダー部分が直角に食い込む形でへこんでいた。よくみるとベージュ系の塗料もこびり付いていた。私が止めた時もこの時もアストロの右側の駐車スペースは空いており、私が区役所庁舎内にいた時間もそう長くなかったことから、このスペースに止めようとしたトラックがバックでアストロに接触し慌てて逃げたと思われる。

□パワーウィンド:
2003年暮れ、運転席側パワーウィンドの機嫌が悪くなる。動いたり動かなかったりだ。修理に出すまでの3ヶ月間ウィンドを全く空けずに過ごした。結構不便なものである。モーター交換修理後は調子良かったが先月よりまたも機嫌が悪くなり始め現在にいたっている。

□リアハッチ:
リアハッチの鍵穴の調子が2004年2月より悪くなる。鍵穴に鍵を突っ込むと抜けなくなってしまうのである。調子悪くも運転席から空けるのが面倒なときなどに使用していたのだが、ある時鍵を抜くのに30分近くもかかったことがありその時以来鍵穴は使用していない。

□道路封鎖:
2005年8月、いつものように会社より帰宅し、バックで自宅駐車場に入れようとすると、自宅前の狭い一方通行の道路をななめにふさいだ状態でエンスト。スターターが全く作動せずバッテリー上がりかと思いJAFを呼ぶ。しかしバッテリーを連結してもエンジンがすぐに停止してしまうのでダイナモの故障と判明。とりあえず道路封鎖を解くためだけにJAFのバッテリーを借り、ダイナモは翌朝出張修理を依頼する。予兆としては3日前よりバッテリー計のメーターが徐々にマイナス方向に下がっていたが近いうちにバッテリー交換をしようぐらいにしか思っていなかった。ご近所の皆様には多大なご迷惑を掛けてしまった。

我が家の子供たちの評判が最高に良く、車重が重くスピードも出せない為いつもゆったりとした気持ちで運転させてくれたアストロ。次の愛車もアストロにしようかとも悩ませてくれた。手を焼いても嫌いにならなかったのはアストロの持つ魅力の方が勝っていたからか。

社員のコラム06’8月号 海老沼優文