『チャーター船で行く!』 上海と三峡クルーズ紀行
Vol.3
社員のコラム’03.1月号 金井孝之
7月21日(日)

7時にモーニングコール。船内放送はすべて日本語でした。
朝食後の説明会で、ツアー同行の仲野さんが80歳(傘寿)長寿記念に特製の掛け軸をいただき、皆でお祝いをしました。
船はまず「三国志」の「劉備、孤児を託す」の章の舞台となった白亭城に向かいました。ここは呉への遠征に失敗し、天下統一の夢に破れた劉備玄徳が病死した場所であります。
天気は快晴、船を降り城へ向かうと、道幅がかなり狭い登り坂を二人の駕籠かきがえっさほいさと上半身を裸でお客を乗せて走り回っていました。よくケガをしないものだとハラハラしながら見ていました。ツアーの人達も何人か駕籠に揺られながら城まで向かったそうですが、口々に「怖い」を連発していました。
それから全長8qと三峡中最も短く、最も険しい表情を見せる渓谷の長江の中でも川幅平均100m程しかないという第一の峡(く塘峡)を最初に通る時、孔明碑がありました。これには蜀の軍隊がここから敵国の魏に兵を送ると書いてあるそうで、やってきた魏の武将の陸遜がそれを読み、大変怖れて戦わずに兵を返したという伝説の碑だそうです。
2時頃には全長44q、く塘峡に比べるともの静かな印象の巫峡を通りました。ここは森で覆われた山頂の連なる優美な峡谷として知られており、山上から巫山12峰を観ることが出来るそうです。
優美な景色を堪能していたら去年の友の会で買ったニューヨークメッツの帽子が風で吹き飛ばされ、長江のもくずと消えてしまったのには参りました。
次に第三の峡、西陵峡に入りました。この区間は難所・急流・山崩れの多い場所で、昔は大きな船が往来出来る場所ではなかったそうです。何回もの大仕事で川底を削って今」のような状態になったが、それでも船長にとっては最も神経を使うとか。
また、詩人・屈原の故郷の場所や、兵書宝剣峡という西陵峡の上流にある渓谷も通りました。ここは孔明が兵書を断崖の隙間の木箱に収蔵したと伝えられていましたがその木箱は実は棺だった事が確認されているそうです。
時間も4時過ぎ、建設中の新三峡ダムに入りました。完成すれば世界一のダムとなり、ダムによる水位の上昇は2003年からの予定で、10年後には多くの史跡が水没するといわれ、移動が計画されているそうです。
夜も7時頃には魏昌に着き、レストランで夕食の後、バーにおいてサヨナラパーティーを行いました。民族衣装を着て歌ったり踊ったりして見せてくれたのは、全員が船の中で働いている人達でした。
その後私は、野坂さんと赤ワインを飲んで最後の船旅の夜も過ぎていきました。
つづく
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